雨季の谷間で奇跡的に晴れ上がった空は蒼かった。多少、湿気を含んでいるもののトップ・エンドを吹く風は気持ちよかった。
スチュアート・ハイウェィの両側に整然と植わっているパームトゥリーの並木がボクを出迎えてくれた。クソ暑い南国にやってきたということ痛感させてくれる。いや、ここは南半球だからクソ暑い北国ということか...。
ごみごみとした都会のシドニーとはまったく違っていてた。空気の澄んでいる、のんびりとした地方都市という感じがする。
全開になったウィンドウから、車の加速に比例して吹き込む外気が肌に触れると身も心も軽くなる。
しかし、日本からシドニー、そしてこの地ダーウィンと目まぐるしい環境の変化についていけていない。身も心も軽くなった分、地に足がついていないようだ。ここで約一年も暮らすなんて到底信じられない...。

アリス・スプリングでの不安なトランジットを乗り越え、ボクはダーウィン空港に到着した。
シドニー国内空港を9:00ごろ出発してダーウィンに15:30に着いた。約5時間のフライトだ。計算をするとわかると思うが1時間半の誤差は時差である。季節にもよるがボクが行った2月はシドニーとダーウィンで時差が1時間半ある。これは日本の22倍の国土を有するオーストラリアの広大さを物語っている。
飛行機と空港をつなぐ連絡通路に出ただけで生ぬるい暑さがボクにまとわりついた。湿気が強さだな、とすぐ気がついた。
自分のボスとなる日本語教師のユミさんが迎えに来てくれることになっていた。不安があったのだけれどもボクが多少楽観的になっていたのは担当の日本語教師が日本人だったからだ。中学生レベルの英語力の自分は、英語圏の人間と長時間話をしたことなど皆無に等しい。深いコミュニケーションを取れず、会話など成立するはずもない。だからボスがオーストラリア人ではなく日本人であるのがせめてもの救いだった。今、オースラリア人が日本語教師だったらと考えると思うとぞっとせずにはいられない。きっとアシスタントとしての職務をまっとうできることだろう。
エージェント計らいで、こういったボクを見越してダーウィンに派遣したのだと思う。結果論だが確かに日本人で正解だった。

それでも、電子辞書がない今となっては頼りになるのは「地球の歩き方」と虎の子の貯蓄で購入した「IBMのノートPC」だけ。正直心もとない。
連絡通路を出ると空港のラウンジ。冷房の涼風が柔らかい。頭を切り替えてユミさんを探した。そうだ。ボクはユミさんの顔は知らなかったんだ...。向こうにはボクの写真を送付済み。彼女に見つけてもらうしかない。佇んでいても仕方ないのでボクは手荷物受け渡しゾーンにそのまま移動した。
「マサさんですか?」
レーンから出てきた荷物を床に置いたとき後ろから声がした。
振り返ると女性が立っていた。やっぱりこの人だ。実はラウンジ辺りでユミさんらしき人とちっらっと目線が合っていたのだが素通りしてここまで来てしまったのだ。というのも彼女の容姿に理由があった。ユミさんは生粋の日本人だが、アジア諸国で暮らしている女性の目鼻立ちによく似ていた。日本人離れしたオリエンタル顔とでも云えばいいだろうか。事実、彼女がタイに旅行したとき、現地の人に間違われていたそうだ。
声を掛ける機会を逸っしてしまった自分も自分だが、ユミさんもこのとき呼びかけるのを躊躇したのだそうだ。当時ボクの頭髪は茶色だった。ユミさんに送付した写真のボクは茶髪のそれより昔の自分だったのだ。
実際のボクの面構えとイメージ上でのボクのそれとはかけ離れていたそうで、彼女も声をかけづらかったらしい。ということで差し引きゼロのお互い様だ。
これがユミさんとの出会いだ。

ユミさんの小型のスズキ車でホームスティ先に送ってくれるとのこと。
空港を出てパームトゥリーのアーチの中を車が疾走する。30分ほどするとダーウィーンの中心地にやってきた。中心地なのだが電車も走っていないダーウィンは郊外に似たのどかさがどこまでも続いていた。時間の流れが止まってしまったような緩さが見える。
ホームスティ先である白亜のマンションに着いた。街の中心からちょっと離れたところにあり、ダーウィン・ハイスクールからも近い場所にある。斜向かいには緑豊かな林に囲まれたゴルフ場が望める。新築マンションで住人共用の屋外プールが併設されている。オーストラリアでは(暑いこの地だからこそかもしれないが)普通の家庭でも小さいながらもプールが付いていたりするから驚かされる。
ホームスティのホストは三階に住んでいた。ホストの名はアイリーンという五十近い女性だ。数学のシニアティーチャーの彼女はひとり暮らしなので、ボクとふたりきりで住むこととなる。ホームスティというより、ルームシェアに近い。
当初、典型的なオーストラリア家族のところにスティして、子供たちとホストペアレンツの触れ合いや会話通じて英語を上達していければという野望を抱いていた。ユミさんが生徒たちに呼びかけ奔走してくれていたらしいが、残念ながらホームスティ先の鉱脈を掘り当てることはできなかった。無念...。そこでギリギリになって「部屋がひとつ空いているから」と、アイリーンが手を差し伸べてくれたのだ。
由美さん曰く、「男の人は女性に比べてホームスティ先が見つかりにくい」ということだった。なぜなら女性であれば家事の手伝いやら料理やら手伝ってくれるだろうというイメージがあるそうで、すぐホームスティ先が決まるそうだ。そんなの偏見じゃねえかよ、と思ったものの振り返ってみると、実家住まいだし家事や料理はやっていないよな、と自省した。
料理の鉄人ほどではないけれど、学生時代には飲食店系で厨房のバイトをしていたこともあり包丁さばき程度は自信あるし、料理の本も持参してきていて、ヤル気満々だったのだけど...。それはそうと現実は厳しいのだ。
結局、僕が一年間で経験したホームスティはアイリーンのところと後に語るであろうハーディー家のふたつだけだった。ボクはこれで良かったと思っている。少なからず嫌なことも多かったが愛着もあったし良き思い出が詰まっていた。逆に一ヶ月単位でホームスティ先を替えていたならば、彼らに対する思い入れが希薄なものになっていただろうし、彼らのボクに対する印象も薄っぺらになっていただろう。

一階は住人専用の駐車場で二階から上が住居になっている。エレベーターで三階に上がり、アイリーンの家のドアをユミさんがノックする。
コンコン...。
緊張の瞬間だ。近くの林からだろうか。風に乗って木々の匂いと共に野鳥のさえずりが届く。その瞬間がえらく長く感じた。ボクはゴクリと唾を飲み込んだ。
ドアが開いた。そのとき新築特有の匂いと木々の緑の匂いが混じり合った。
「ウェルカム!」
ハキハキとした大きな声が聴こえた。その声は鳥の声や、木々と新築の匂いを全てを吸収してしまいそうだった。
大柄な女性が開いたドアの向こうから現れた。それがアイリーンだった。
彼女は自分の家にボクらを招じ入れてくれた。大柄というのは謙遜し過ぎで、ステレオタイプだが欧米人にありがちの太った体型だ。
顔はどうだろう。映画女優で例えるならば映画「ミザリー」で偏執的な作家のファンを演じたキャシー・ベイツにどことなく似ている。映画のキャシーは恐かったが、アイリーンも負けず劣ってはいない。眉間にしわを寄せて怒るときの迫力は想像を絶する。もちろん、この時にはそんなことは露とも思ってはいない。基本的には面倒見の良くていい人なのですよ。ただ...。
いろんな騒動についても今後語っていくことになるだろう。
ボクはマンションの外壁同様、真っ白に染まった家の中をじっくり見回していた...。
「Something New ~日本語教師アシスタント奮闘記~ その7」に続く。。。
(文・菅 雅壱)
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